こちらの話もちょっと前のことになるのだが、少し足を伸ばしてWebbervilleというミシガン州の州都、Lansingの東にある村のブルワリまで行ってきた。Ann Arborからは自動車を使えば1時間くらいだろうか。ごらんの様にかなり吹雪いていたにもかかわら、ずたくさんの客で賑わっていた。さてこのブルワリ、パブも併設されているので食事もとることができる。実際、家族で来ていてランチを楽しんでいる方々も居た。店の雰囲気は明るく、店舗も新しめ。店の奥にはビリヤード台とダーツがあり、それで遊んでいる人も居る。
![]() | ![]() | ![]() |
| 吹雪いている中で入り口を臨む | Superior StoutとMackinac Pale Ale | パイントグラスにプリントされているロゴはちょっとイイ感じ |
さてビールである。シュタウト(黒ビール)の方はバッファローウイングによくマッチするテイスト、ペールエールの方は、柑橘系のフレイバーが効いたさわやかな味わいであった。
![]() | ![]() | ![]() |
| このブルワリのロゴ、再び | ビアサーバーハンドルのコレクション | グロウラーキャリヤー、コレクターのニーズに行き届いた一品だな |
ここのブルワリの半分(ビール工場を除く)はギフトショップとビール醸造用のグッズ販売店で占められていた。そんな中にサーバーハンドルのコレクションが。いつか自宅にサーバーを設置した際にはこれらのグッズを集めたいものである。
ちょっと前のことになるがDetroitのBelle Isle Parkにさくらを見に行ってきた。Detroitのダウンタウンのそばということと、同僚の話を聞く限りにおいて、その公園の外側はあんまり安全ではなさそうだったのだが、過去7年くらいソメイヨシノが満開しているのを見る機会に恵まれなかったので、是非見に行くことに。結果から言えば、まさにベストのタイミングでの訪問だった。伝え聞くところによれば日本は開花が遅いらしく、FBのフレンドによれば水戸では最近、梅とサクラの同時開花を楽しめたとか。一方のこちらは3月下旬には満開になっていたので、如何に暖かいかが伺えるだろう。
こちらでは、むかしデラウェア時代にDCのサクラを見に行った記憶がある。あちらは100年ほど前に結構な数のサクラが日本から寄贈されており、たしかcherry Blossom Festivalが満開の時期に開催されていた。それとくらべればこちらのサクラは静かなものである。こちらのサクラは20年近く前に豊田市から寄贈されたものとか。
![]() | ![]() | ![]() |
| 満開である | サクラ回廊 | |
日本に居た頃はこの時期はスギ花粉症がひどくて、春の風物詩をまったく楽しめなかった。しかし渡米して以来、花粉症とは無縁の生活となったため、サクラ満開を堪能できている。
ところで上でも触れたように、ここのサクラはひっそりしている。たぶんDetroitのダウンタウンのそばにあるということもあるのだろう。実際、ここにたどり着く直前まで、荒廃した町並みの中を走っていたから。それでもちらほらとサクラを求める日本人を見かけた。
日本の花見のような喧噪とは別世界。ゆったりとした時間を楽しめたのである。
先日にミシガン州、Jacksonの西にあるBad Bear Breweryなる地ビール店に行ってきた。とっても静かな落ち着いた感じのお店だったのでここで紹介しておこう。改めて場所はJacksonというAnn Arborの西にある町からさらにちょいと西にあるAlbionという小さな町の手前にある。目印はI94を西へ向かうと右手にでっかいアダルトショップの看板があり、そのショップの向かい側がブルワリなのである意味、非常にわかりやすい。ちなみに第一印象なんだが、最初は廃墟かと思ったんだが、ちゃんと"OPEN"のネオンが点灯しており、よく店内を見るときれいだったので、最近、改装でもしたんだろう。
このブルワリはSleeping Bear Wineryに併設されており、ビールだけでなくワインのテイスティングも楽しむことができる。
![]() | ![]() |
| 手前のpintはMPA、奥の2つはchocolatie StoutとOatmeal Stout | スパイスの効いた夏ビール、Honey Spice |
ワタシはIPAが好きなのだがここではIPAの代わりにMPA(Michigan Pale Ale?)をオーダー。ちょっとフルーティな味は甘めのワインを彷彿させる。ビール特有の癖がグレープの風味で隠されるのでビールが苦手な人も楽しめるかも。
黒ビール(stout)の方はOatmealはとってもクリーミィで飲み易い感じ。一方、Chocolatieは季節限定でちょいと癖があるとのこと。Honey Spiceは夏を予感させる味付けでとっても清涼感がある。コリアンダとオレンジの風味がsれを引き立てているようだ。
店内の雰囲気はとってもあっとほーむ。私たちが訪れたとき(ちょうどお昼時)には小さな子供2人をつれた家族がビールを楽しんでいた。それにこんなちょっと町から離れた場所にあるのに結構、頻繁にヒトが訪れていた。特にワインのテイスティングを目当てにくるお客がね。ちなみにワインテイスティングは無料なんで、私たちもちょっと気になるワインをテイスティングをしてみた。ほかにもビネガーとかも販売しており、テイスティングができる。裏手にはパティオがあり、季節が暖かくなったら、ここで飲むビールも美味しそうである。
なんだかもう1週間ちかく経ってしまったが、St. Patrickの日に緑色のビールが飲めるということなので、適当なIrish系のパブを探してみた。事の発端は先週の金曜日にインターナショナルの学生や研究者とその家族向けに教会が開催しているディナーで日本を紹介するプレゼンをしてみないかというオファを友人のPaulからもらったことに始まる。プレゼン資料については大半は妻が準備してくれて大変助かったのと、彼女による非常に明快なプレゼンは聴衆にとても好評であった。そのディナーの終わりに司会のDung(彼は日本に5年ほど住んでいたことがある)がSt. Patrick DayにIrish Barに行くと緑色のビールが飲めると教えてくれた。ちなみにSt. Patrickとはカトリックの聖人の一人で、St. Patrick Day(3月17日)はIrish系のアメリカ人が緑色の服をきて川を緑色の染料で染めて大騒ぎするという年に一度のお祭りがある日なのだ。緑色の服を着てバーで大騒ぎというのはモンタナ時代から知っていたが緑色のビールの話はちょっと初耳(でも日本語のwikiにも書いてあるねil||li _| ̄|○ il||li)。そーいうわけで是が非でも飲みに行かなければと相成ったわけである。
最初に訪れたIrish PubはAnn Arborの東にあるWest Landという街のMalarkey's Irish Pubというお店。店に入る前にすでにそこら中に緑色の服を着た人たちで溢れかえっているのがわかる。明らかに東洋人は見あたらないのだが、ここは物怖じせずに突入。年齢確認のセキュリティをかいくぐり、中に入るとそこはカオスであった(笑)。でもでもっ、みんな、飲んでいるビールが緑色じゃない!みーんな、バドライトかミラーライトを飲んでるよ~。ちょっと肩すかしだったので、この店を出ることに。出て行くときに門番の兄ちゃんに緑ビールのことを聞いたら、もう品切れだとか(あんなもの、フードカラーを入れれば大量にできるんじゃね?とか心の中でツッコミをいれたんだが、まあそれはソレということで......)。
次に我がDroid4で検索をすると、なぜかつぶれたはずのBennigen'sというこれまたIrish系のレストランを表示してきた。個人的にはBennigen'sは2005年にモンタナのBozemanにたった一人で辿り着いた日(1月の終わりにデラウェアから6日かけて車で引っ越したのよ)の晩餐ということと、デラウェアで行き慣れていたBennigen'sの支店がBozemanでの当時のアパートの近くにあったので、行ったなぁ~という記憶がある。まあ懐かしいんだな。ただwikiにも書かれているように2008年に破産したはずだったので、昔の情報が残っているのかしらと思ったんだわ。でもあったらあったでうれしいなつかしだったので、Droid4の言うように行ってみたわけだ。
そーしたら......あった、ありましたよ!ちょっと胸にあついものがこみあげてきたのである。2005年の1月25日から31日までかけてデラウェア州からモンタナ州まで駆け抜けた記憶を。そう、この夏に妻とともにやはり6日かけてモンタナからミシガンを駆け抜けた同じ道のりをたった一人で走ったんだよねぇ。あのときは今ほど英語も堪能じゃなかったしさ(まあ今でも至らないところだらけなんだがな(/x_x)/)。しかも真冬のなか行ったことのない土地をただひたすら走るわけよ。尋常じゃない寂寥感だったな~。
話を戻そう。喜び勇んでレストランに突入である。そしてウエイターのお兄さんに何か飲み物を頼もうとしたら、お兄さんの方から「緑色のビールはどーだい?」と言ってくれるじゃありませんか。まあ私とMぽんもSt. Patrick dayにちなんで緑色の服装をしていたのが功を奏したんだな。そーいうわけで上の写真が緑色のヤツね。ただDungが言うにはギネスにフードカラーで着色すると言っていたんだが、こいつはミラーライトだったのがちょっと残念だったな。
![]() | ![]() | ![]() |
| 店内は緑色 | すでにノリで頼んでしまったBig Irish | 自分でみても満足そうな顔だわ(笑) |
米国に来てから今まで一度もSt. Patrick Dayなんて気にもかけてなかったんだが、来年からはグリーンビールを求めて彷徨うことになりそうである、ちゃんちゃん。
タイトル通りとてもめでたい日である。
思えば個人的には妻の永住権についてはかなりいろいろと悩んでいた。というのは彼女は日本では大学院の博士課程に在籍しており、博士取得にはあと最低2年はかかるはずであったのだ。そんななか3月11日の東日本大震災、それに続く福島第一原発の事故がおこり、私たちも一つの決断をしなければならなかったのである。
妻曰く、地震の日は彼女は研究室で実験をしていたとのこと。そしてそのあと大学の近傍にある後輩の部屋に一時避難していたそうだ(その際にやっと連絡を取ることができた)。その直前に福島第一の水素爆発を報道で知ったので、部屋から不用意に出ない様に妻に指示するとともに米国行きの航空券の手配をした。そのあと彼女はなんとか自宅(実家)にもどることができたので、家族と相談しながら米国に来ることを強く勧める。幸い彼女はB2ビザを所持していたので、米国に6ヶ月は滞在できるのだ。
これら一連の決断はワタシをかなり悩ませた。というのは、まだ彼女の博士課程在学中という道半ばの状態なのにワタシのある種のわがままを通してしまうことに対する是非を自分に問いかけたり、私自身の職務が安定していないことに対して不安を感じていたり、である。ただあのときはまず放射能の影響に対してとても心配していたこと、さらに博士課程の研究を続けるための研究施設である大学の施設が大きなダメージを受けておりいつになったら研究が再開できるか目処がつかなかったことなどから、結局は妻にはこっちに来てもらうことにしたのである。
さて妻がこっちに来てからである。最初は日本の状況に応じて今後をどうするか考えていた。現に彼女に買った航空券は7月中旬に帰国の予定であった。だがいろいろと議論した結果、B2ビザから永住ビザへのAdjustment of Statusを申請することにした。これはワタシが永住権を取るときに雇った弁護士とも相談し、法的に可能であることを確認した結果でもある。
ここで明確にしておくが妻と結婚したのは5月10日、ワタシが永住権を取得したのが6月8日である。つまり妻は永住権保持者であったワタシと結婚したのではなく、永住権取得前のワタシと結婚したのである。あくまですでに永住権を保持しているヒトと結婚したわけではないので、そういった場合、以下の話が適用できるかは不明であることを付記しておく。
以下、妻のB2ビザから永住ビザへのステータス変更(Adjustment of Status)のタイムテーブルだ。
2011年3月23日 妻、入国(入国管理官に対して日本への帰国意志は明示)
2011年4月19日 弁護士に彼女のステータス変更に関する質問をする
2011年6月30日 メディカルチェック
2011年8月11日 Bozemanから引越し
2011年8月16日 Ann Arborに到着
2011年8月17日 弁護士に書類を発送
2011年8月23日 USCISに書類提出
2011年8月26日 Received Date
2011年8月31日 Notice Date
2011年9月6日 レシートを受け取る
2011年9月19日 バイオメトリクスのお知らせ
2011年9月29日 Detroitでバイオメトリクス
2011年10月21日 EADとAPが到着
2011年12月24日 RFE(Request for Evidence)を受け取る
2012年2月14日 サポート書類を弁護士に発送
2012年3月1日 永住権認可
2012年3月7日 ウェルカムレターとグリーンカード到着
書いていて気がついたのだがpriority dateが2010年3月22日となっていた。これはワタシのI-140のpriority dateと一致する。つまり、まあ当然のことなんだがワタシの永住権申請と紐付けされているんだね。まあこの一致がそれ以上の何を示しているのかわからないけど。
これがすべてであるが、最後に感想でも。とにかく疲れた、この一言に尽きるのである。
思えば個人的には妻の永住権についてはかなりいろいろと悩んでいた。というのは彼女は日本では大学院の博士課程に在籍しており、博士取得にはあと最低2年はかかるはずであったのだ。そんななか3月11日の東日本大震災、それに続く福島第一原発の事故がおこり、私たちも一つの決断をしなければならなかったのである。
妻曰く、地震の日は彼女は研究室で実験をしていたとのこと。そしてそのあと大学の近傍にある後輩の部屋に一時避難していたそうだ(その際にやっと連絡を取ることができた)。その直前に福島第一の水素爆発を報道で知ったので、部屋から不用意に出ない様に妻に指示するとともに米国行きの航空券の手配をした。そのあと彼女はなんとか自宅(実家)にもどることができたので、家族と相談しながら米国に来ることを強く勧める。幸い彼女はB2ビザを所持していたので、米国に6ヶ月は滞在できるのだ。
これら一連の決断はワタシをかなり悩ませた。というのは、まだ彼女の博士課程在学中という道半ばの状態なのにワタシのある種のわがままを通してしまうことに対する是非を自分に問いかけたり、私自身の職務が安定していないことに対して不安を感じていたり、である。ただあのときはまず放射能の影響に対してとても心配していたこと、さらに博士課程の研究を続けるための研究施設である大学の施設が大きなダメージを受けておりいつになったら研究が再開できるか目処がつかなかったことなどから、結局は妻にはこっちに来てもらうことにしたのである。
さて妻がこっちに来てからである。最初は日本の状況に応じて今後をどうするか考えていた。現に彼女に買った航空券は7月中旬に帰国の予定であった。だがいろいろと議論した結果、B2ビザから永住ビザへのAdjustment of Statusを申請することにした。これはワタシが永住権を取るときに雇った弁護士とも相談し、法的に可能であることを確認した結果でもある。
ここで明確にしておくが妻と結婚したのは5月10日、ワタシが永住権を取得したのが6月8日である。つまり妻は永住権保持者であったワタシと結婚したのではなく、永住権取得前のワタシと結婚したのである。あくまですでに永住権を保持しているヒトと結婚したわけではないので、そういった場合、以下の話が適用できるかは不明であることを付記しておく。
以下、妻のB2ビザから永住ビザへのステータス変更(Adjustment of Status)のタイムテーブルだ。
2011年3月23日 妻、入国(入国管理官に対して日本への帰国意志は明示)
2011年4月19日 弁護士に彼女のステータス変更に関する質問をする
2011年6月30日 メディカルチェック
2011年8月11日 Bozemanから引越し
2011年8月16日 Ann Arborに到着
2011年8月17日 弁護士に書類を発送
2011年8月23日 USCISに書類提出
2011年8月26日 Received Date
2011年8月31日 Notice Date
2011年9月6日 レシートを受け取る
2011年9月19日 バイオメトリクスのお知らせ
2011年9月29日 Detroitでバイオメトリクス
2011年10月21日 EADとAPが到着
2011年12月24日 RFE(Request for Evidence)を受け取る
2012年2月14日 サポート書類を弁護士に発送
2012年3月1日 永住権認可
2012年3月7日 ウェルカムレターとグリーンカード到着
書いていて気がついたのだがpriority dateが2010年3月22日となっていた。これはワタシのI-140のpriority dateと一致する。つまり、まあ当然のことなんだがワタシの永住権申請と紐付けされているんだね。まあこの一致がそれ以上の何を示しているのかわからないけど。
これがすべてであるが、最後に感想でも。とにかく疲れた、この一言に尽きるのである。
トラックバック(0) |
ありがとうございます!
cooyou ありがとうございます。やっとビザ問題が解決で、文字通り肩の荷が下りました。次は米国でのより安定した生活ですね。
おめでとうございます!
Seedless raisin 奥様のグリーンカード取得おめでとうございます。ビザの問題が解決したということで、一つ大きな肩の荷が下りたのではないでしょうか。お疲れ様でした!
cooyou ありがとうございます。やっとビザ問題が解決で、文字通り肩の荷が下りました。次は米国でのより安定した生活ですね。
おめでとうございます!
Seedless raisin 奥様のグリーンカード取得おめでとうございます。ビザの問題が解決したということで、一つ大きな肩の荷が下りたのではないでしょうか。お疲れ様でした!
前回の機種交換から約1年半ほどだったのだが、度重なるResearch In Motion(RIM)社によるOS更新に伴いワタシのBlackBerry Bold9650は耐え難いくらい遅くなってしまった。さらにGoogleSyncの安定性やら、OSそのものの挙動異常、OS更新のたびにRIMからくるレジストレーションを要求するメールやら......それとポイントデバイスによる特有の操作UIも今となってはちょっと使いにくい。買った当初はサクサク動いていたのでとにかく感心していたのだが。それと職場での電池の持ちの悪さには閉口してしまっていたことも遠因だな。病院だからなのか電波強度も悪く、よく通話中に切断してしまうこともあった。まあそんな複合的な要因もあり、2月18日のアップグレード可能日を待ち、直ちに地元のVerizon Wirelessのリテーラーに行き、機種交換を行ったのである。
今までは機種交換といえばオンラインで注文していた。その方がなんだか安いことが多かったためとVerizonWirelessの店員にあんまり良い印象をもっていなかったからだ。実際、最初に店内でDroid4やRazrの実機をいじっていたときにやってきた店員のテンションはかな~り低かったのだ。
気を取り直して自分の現携帯であるBBBold9650を機種交換したいこと、オンライン表示で$170になることなどを告げた。そうしたらそのテンションの低い状態だった店員は最初、$210くらいになると告げてきたのである。そんでアップグレード価格の表示された自分のアカウント画面を印刷したものを見せてちょっとした交渉を始める。
交渉を続けるウチに手元のBBを下取りにできることがわかった。そのあたりでなんだか店員のテンションが上がってきたのである。まあ最終的には$169となった。これはアクセサリーとしてウエストホルダー、ケース、シガーソケット充電器を含んだ価格である。ちなみにDroid4は2月10日に発表されたばかりの新型機、新規購入で$550となる(2年新規契約で$199)。
ところでご存じかもしれないがVerizon WirelessはiPhone4Sのキャリアーの一つであり、今回の機種交換での対象機種であった。そしてワタシもiPod touchを持っているのでその操作性の良さはよく理解していたのであるが、今回は選ばなかった。その理由としてDroid4(4 inch)やRazr(4.3 inch)と比べて画面が小さい(3.5 inch)のである。iPod touchを購入した当時は思わなかったのだが、HD画質時代の今となってはちょっと画面が小さすぎるかなというのが正直な感想である。
もう一つ大きな理由としてiPhone4Sは4G LTEに対応していないことがある。現に1週間ほど4G LTEに対応しているDroid4を使ってみての感想だが、なにしろネットブラウジングとかGoogle Mapとかサクサク動くのである。特に後者はBBでも使っていたが、あまりに遅かったのでストレスフルでほとんど有効利用できていなかった。ちょっとした文明開化なんていっても言い過ぎではないように思う。ちなみにここMichiganでの実測通信速度は下りで9.2Mbps、上りで3.3Mbpsでている。
![]() | ![]() | ![]() |
| ハードウェアキーボードを搭載するDroid4 | 左からiPod touch、Droid Razr、Droid4 | 薄さ比較、左からiPod touch、Razr、Droid4 |
今回、Droid Razrよりもちょっと分厚くて重たいDroid4を選んだわけだが、その理由としてDroid4にはハードウェアキーボード搭載という点があげられる。Razrも薄くてかっこよかったんだけどね。iPod touch以来ちょっとソフトキーボードは敬遠してたのだ。そのためBBを使っていたというのもある。ただ今回、Android OSのソフトキーボードを使ってみて思ったんだが、4年前の第一世代iPod touchのソフトキーボードなんかと比べても遙かに使いやすくなっていた。うまく言葉で表現できないんだけど、キータッチに対する入力追従性が良くなっているからだろうか。これならハードウェアキーボードもいらなかったかなと思えるくらいだったんだが、幸いにして翌日、MぽんがRazrを購入したのでそっちの使用感も体感することができた。基本的な性能差はなく、違いはハードウェアキーボードの有無のみ。その辺は選ぶ人の好みだと思う。だから個人的にはDroid4で良かったと思っているわけである。























