米国けんきゅうにっき 思い出(学生時代)
学位取得後、研究者として米国へ。このさきどのようなことが待ち受けているのでしょうか?
 先月の終わりに中学時代の恩師が亡くなった。


 ウチの代は比較的横のつながりが強いのか、忘年会や同窓会をよくひらいている。これもFBなどのSNSが普及してきたためなんだろうけど、元生徒会長がそれを利用して同窓会などの写真をアップしている。そんな中おととしの忘年会の写真のひとつに、その先日亡くなった先生が写っていた。当時、この写真を見たときはミシガンにきたばっかりで近いうちの帰国なんて考えられない状態だった。でもその写真を見て、「いつかお会いしたいな」とおぼろげに思っていた。


 その先生は私が在籍していた中学3年G組の担任だった。なんか学級委員をやっていた記憶があるんだが、私は当時そこまで積極性はなかった。だから、その先生(仮にJ先生としておこう)が、「よしお前がやれ」と鶴の一声で決まったのを覚えている。その後、あのクラスではいろいろと紆余曲折があって大変だったんだが、まあ良い思い出だ。


 中学の卒業式の後にあった謝恩会のことである。ウチの親がJ先生に「うちの子は昔、学校にナイショで自転車で森林公園と城ヶ島に行ったことがあるんですよ~」と言ったことがある。そーしたらJ先生は「そんなの時効だよ、はっはっは」と返してきたそうだ。ちなみに森林公園とは東武東上線の森林公園駅からちょっと離れたところにある武蔵丘森林公園のこと、城ヶ島とは神奈川県三浦半島の南端にある島のことである。たしかいずれも帰宅したのが結構な深夜になってしまった。まあ中学生の非力な身体ではなかなかの遠出だったし、中学っていうのはそもそも校則で学区外に単独で出かけるのを制限していた...はず。


 そんなことがあったなぁ。まあ若いときってのは、なんか衝動的に思い切ったことがやりたくなるのよ。特に当時、ウチの中学はなかなかに大変でさぁ、気の小さいワタシが学級委員を押し付けられるワケだから、なんかはけ口が必要だったんだろうと、当時の自分を省みている。そんなワタシにとっての自転車小旅行がちょっとした冒険心を生んで、(クルマでだけど)アメリカ横断につながったのかもね。


 今思えば、ホントーに中学のときは引っ込み思案で学級会とかで司会をするのも極度に緊張していた。一人っ子だったからねぇ...そんなワタシにJ先生はいろいろと人前に出たり、ヒトと積極的に接したりする機会を与えてくれた。このままではコイツが大人になったときに苦労するだろうと思ったのかもね。


 あらためてお疲れ様でした、J先生。28年の月日を過ぎて再会は叶わなかったけれど、中学でのご恩は忘れません。


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【2013/02/01 17:18】 | 思い出(学生時代)
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 今日も100Fいきそうな勢い。(現時点で93F、摂氏で34℃)空調の効いていないココの建物もまもなくキケンな温度に達しようとしている......さてここでお知らせ。来週の土曜日(7月28日)にモンタナ州、HamiltonにてBrew Festaが開かれることを知った。入場料が$15でグラス+3杯までテイスティング付き(更に飲みたい方は+$1で1テイスティング)だ。今春に開かれたBozemanでのBrew Festaとよく似た形式だ。当然、ワタシも行くつもりなのだが、さすがにHamiltonはBozemanから遠いので、近くでキャンプをする事にした。興味のある方はゼヒご連絡を!


 さて前回のつづき。友人の住んでいた三陸町はちょっと国道からはずれたところにあり、いろいろと曰く付きの地名(首崎とか、脚崎、死骨崎とか......)があった。なんでも昔、酋長(?)のカラダが流れ着いたことにちなんで名付けられたとか。(ホントーかどうかは知りません。どなたか○○大学○産学部のかた、おしえて。)とくに小壁港とゆー半島の先にある小さな漁港は、満月の夜はだれも(漁業従事者含む)近寄らない。ある晩(もちろん満月ではない)に行ったことがあるのだが、夜間の其処はさすがにヤバイ雰囲気であった。(残念ながら写真はナシ)
 そんなヘタれなワタシはまだ太陽の出ている時間にその幼なじみと、そしてついてきた大学の同期(現在はなんの因果か上海にいる。911のとき、ワタシの身を案じてくれたのか電話がかかってきた。)とともに首崎の灯台とほこらまで歩いていったのである。

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ワタシと現在、上海在住人ほこらのそばから灯台を臨む

 どれくらい歩いたか覚えていないのだが、人っ子一人いない場所であった。(クマもいっぱい出たらしい。)灯台に続く階段にはたくさんのシカの糞があったのが印象的だ。(柵がないので、階段の外は崖っぷちだったような......)ところで右の写真は首崎のほこら(ワタシの記憶が正しければ首塚だったらしい)から撮影した灯台。落ちている赤い棒はおそらく鳥居の残骸だろう。(たしかワタシたちが訪れたときにはすでにほこらは荒れ放題だった気がする。ただしすでに10年以上経っているので定かではない。)

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夏の草原。ワタシと幼なじみ

 首塚に行ったのは寒い時期だったが、それ以外にも夏にも訪れた。そのときは別の大学の同期、チ○ピラとM田だ。たしかそのときも心霊ツアーとかいって、夜間に心霊スポットを巡り歩いた。山の中腹にある廃校とか、電気が消えるのろいのトンネル(^^)とか。まあ夏らしい風物詩である。

 最後に三陸町の現在を調べてみたのだが、大船渡市に合併されたんだってね。あらためて時の流れを感じるよ。

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【2007/07/21 06:37】 | 思い出(学生時代)
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sanriku1993_03.jpg むか~し、Rover MINI 1.3iに乗っていた。左のクルマである。このクルマで東京から福岡の香椎(大学同期の実家)、大分(修士同期の就職先)、熊本(先輩の働いている場所)、宮崎(フェリーで、最初のポスドク先の大分に行くため)、四国の坂出(大学の同期の実家)や道後(大学院先輩の実家)、北海道の稚内(傷心旅行)、北陸・富山(両親の実家)、そして岩手・三陸(幼なじみの大学の在る場所)など、日本中をともに走ったものだ。渡米する際に手放したが、10年以上、乗り続けたクルマである。
 英国車ということで、さんざんトラブルに見舞われたものだ。オイル漏れは当たり前で、冷却水関連や電装系などはしょっちゅうだったので、たとえエンジンルームから白煙が出てきてもあまり驚かなくなったし、雨の中で急に止まっても冷静に路肩の方によせたものである。(軽いので一人で動かせるのも利点だ。)それでもいろいろとトラブル対策の改装を施してはあったのだが。思い起こされる最大のトラブルはやはり冬の北陸に向かったときであろう。たしか博士号をとった直後である。今は地震で大変なことになっているらしい、柏崎市のすぐ外。国道8号線にのったとたんに雪にあい、海風の吹きさらす日本海の目の前で止まってしまったことだ。時間はすでに10時過ぎ。雪がエンジンルーム内に入り込んできて、ディストリビュータ(点火プラグにタイミング良く電圧をかける装置)を濡らしてしまい、エンジンが動かなくなったのだ。原因は分かっているので、この部品が乾くまで待つしかなかったのだが、周りは真っ暗で非常に心細かったのを覚えている。そのあと糸魚川までなんとかクルマを走らせられたのだが、そこでガス欠に気づくも、すでに深夜2時。GSは軒並み閉まっていた。ここで観念してJAFを呼んだのだが、たしか糸魚川の駅前で3時間ほど待たされたのであった。

 さて前置きが長くなってしまったが、このMiniを駆けて当時、幼なじみが下宿を始めた三陸町まで行くことにした。(実は彼が滞在していた3年間の間に3回は立ち寄った記憶がある。最後はたしか稚内の帰りだ。)東北は当時のワタシにはちょっとしたあこがれの土地だ。柳田國男の「遠野物語」の舞台となった遠野や寂れた感じの釜石や大津波被害の歴史をもつ大船渡などは、ちょっと陰があって個人的には非常に興味をそそられていたのだ。(ただし行くとわかるが海産物がとってもおいしい大船渡や、ちょっとノスタルジックな遠野は陰があるというイメージは似つかわしくない。まあ陰とゆーのはワタシの勝手なイメージだが......)

 ワタシのMiniは1.3Lの排気量、4速マニュアルだったので、高速道路でも現代の自動車の様に120キロ超の巡航には(乗っているほうが)耐えられない。ゆえにゆっくりゆっくりと東京から大船渡まで向かったものである。現在の道路事情はよくわからないがたしか当時は東北道を一関で降りて気仙沼まで出てから、北上した記憶がある。(友人には花巻まで行けと言われた記憶もあるのだが、あんまり覚えていない。)

 三陸町はちょっと小ぶりの半島にあり、太平洋の荒波を一身に受けている。大船渡から続くリアス式海岸は碁石海岸という名前で有名であり、上記にも書いたが海の幸がおいしい場所だ。たしか帰り際に鮮魚市場でワタシは生きているホタテを、ついてきたワタシの大学の同期はホヤを買って帰っていった。友人の方はホヤの調理の仕方がわからず、とりあえずゆでてみたのだそうだが、ものすごい悪臭がしてきたのでトイレに流したそうだ。当時、ワタシもホヤとゆー生物すら知らなかったので、ナニに使うのやらと思ったモノだ。

 さて長くなりそうなので、次のエントリに続く。

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【2007/07/19 08:15】 | 思い出(学生時代)
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2005_1129(001).jpg 今朝はマイナス14℃だったけど、帰宅時はマイナス7℃まで上がってきた。たしかに"痛い"から"寒い"、になってきたからねぇ。でもちょうど帰るとき、クルマに乗り込んだら雪が降ってきた。冷蔵庫に食材がつきているので、帰りにスーパーに寄ったのだけれども、スーパーを出る頃にはすでに吹雪始めていた。30分ほど前に帰ってきたばかりなのに、ふと窓の外に停めてあるクルマを見ると雪が積もっているヽ(TдT)ノ明日はまず雪かきか......_| ̄|○ ガクッ

 ところでみんなのファ○コンもとい、「みんなのスパコン」とかいって東工大が公開型のグリットスーパーコンピュータの導入を発表したそうな。新入生も使えるんだと。いまの学生は恵まれているねぇ。でも新入生がコレをなにに使うのかしらん?

東工大、1万コアのOpteron搭載グリッドは「みんなのスパコン」
 国立大学法人 東京工業大学は29日、16日付けで発表した国内最大のスーパーコンピューティング・グリッドに関するプレス向け説明会を開催した。
 まず、東京工業大学学術国際情報センター長 酒井善則氏がグリッドの概要について解説。米AMDのOpteron、米SunのGalaxy、米Cluster File Systemsの大規模ファイルシステム、イスラエルVoltaireのインフィニバンド、英ClearSpeedのSIMDアクセラレータボードなど、各国の技術をNECが結集して実現したと説明した。
 このグリッドはデュアルコアOpteron 8way(16コア)のノード計算機を655ノードで構成。計5,240個(10,480コア)を搭載し、50T FLOPSを実現する。さらに、SIMDアクセラレータを600ボード以上搭載し、合計で100T FLOPSを実現する見込み。

 さてこの「みんなのスパコン」、日本国内最大の性能になるとか。日本の最高性能のスーパーコンピュータといえば地球シュミレーターが思い浮かぶが、それでもピーク性能が40T FLOPSだからたしかにすごいね。でもこれって正式名称が「みんなのスパコン」なの?

 これまでいろいろとクレームもあったが、学生時代のほっかいど~旅行を紹介してきた。今日はその最後。留辺蘂から旭川まで層雲峡を越えていいったのだった。すでに疲れていたらしーので、ほとんどただ通過しただけだったよーな気がする。ところで実は遠い親戚が旭川の近くに住んでおり、そこにこれまた遠い昔、お世話になったことがあるのだ。そしてワタシの母の家族は戦時中に北海道に疎開していたため母の生まれは北海道なのである。その遠い昔に訪れた北海道の地はJR石北線沿線にある丸瀬布という町。残念ながらそのときは層雲峡(国道39号)の方を通ってきたので、丸瀬布は通過しなかったが、なんとなく当時のことを思い出していた。(当時は丸瀬布の民宿で泊まり、石北線にゆられて遠軽から北見、そして網走まで行ったのだ。)

 旭川ではバイク小僧がさらにまだまわるということで、神居古潭で別れた。そのあとは高速に乗って札幌そして室蘭まで一気に戻ってきた。(レンタカーの返却日が迫っていたので。)帰りも同じフェリーだが、半数の反逆者どもが18キップで帰京するのを拒んだので、たしか青森で別れた。ワタシと数人はそのまま鈍行に揺られて、UNOやら大貧民やらで時間を潰して、深夜に東京に到着。そんなカンジで6日間は夢の様に過ぎていった。

 ところで新学期になるまでバイク小僧には会わなかったのだが、どーやら神居古潭で別れた直後にコケたそ~な。まあ生命に別状はなかったみたいだけどね。どーも写真がないとなかなか伝えられないこともあるし、ワタシ自身、忘れてるな~。実は北海道はこのあと2回、行っている。学会で札幌と、単独で東京から稚内まで運転した。そのハナシはまたいつかね~。

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【2005/11/30 11:22】 | 思い出(学生時代)
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ハラがいて~
cooyou
 このブログでも書いたが、大半のメールアドレスも一緒に逝ったので、キミの連絡先ですらわからないのだ。(だからコメント欄が掲示板みたいになってる。)

 ところでかめらコゾーは今も上海にいるのかな?

一目瞭然だ
○家
あの名前の付け方なら、俺の突込みが無くても一目で誰だかわかるわ。北海道の写真?そんなものは実家のどこかで眠ってるだろう。元ネガは例のカメラ小僧の実家にあるんじゃないかな。聞いてみた??

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2005_1128(001).jpg さっきラボから帰ってきた。気温を見たら氷点下18℃ヾ(*゜ο゜)ノオォォォォーーー!!どーりで外を歩いているうちにカオが痛くなってきたワケだ。iPodをクルマの中に置きっぱなしにしたら、起動しなかったよ_| ̄|○ ガクッ
 日が暮れると一気にひえるだけではなくて、路面も凍ってしまい、キケンきわまりないのだ。実際、この辺のヤツラはホントーに運転がヘタクソなので、気をつけないと。

 ところでアパートに帰ると部屋のドアが青色に塗られていた。(もともとは木目のままだった)たしかにこのアパート、リニューアル中で、いろいろと見た目が良くなってきている。しかし、部屋に入ろうとドアを開けようにもなかなか開かないのである。そう塗料が固まってくっついちゃったみたいΣΣ(゚д゚lll)なんだかマンガみたいなハナシだ。

 さてさて昨日の続きでもはなそう。「神の子池」に行ったところまでだね。そのあとキタキツネの来襲を受けつつもそのまま小清水方向に抜けて原生花園に行ったな。と、地図を見ていてだんだん思い出してきたのだが、たしか裏摩周に行くときに道に迷った。弟子屈で表と裏の分かれ道になるのだが、虹別の方へ抜けて養老牛に行くときに、よせばいいのにショートカットだとかいって、林道に入る。なんだかだんだん人気というかなにもない場所に導かれるも、最後にバスが廃棄されている場所まできて、ヤバイ雰囲気を察知し、もときた道を引き返したね。あのバスはまだあそこにあるのだろーか?虹別林道(だったかな?)ではダビスタ野郎がはじめてきたばしょにもかかわらず、「これでいいんだ。」とか言っていた。もしかして何かに取り憑かれていた!?(ヤツは今では○ソーの社員らしい)

 ハナシは戻って小清水原生花園は実は当時で2回目だったのだ。実は子供の頃に母親に連れて行ってもらった記憶がある。海岸のそばに花が咲いているんだよねぇ?今、HPを見たら、ああ思い出したよ。たしか駅舎もあったねぇ。

 そのまま海岸線を走り、網走に到着。網走は当然、刑務所あとへ。チン○ラ(本人が読んでいるらしーので、伏せ字ね(o^-^o))が刑務所の扉からカオを出した状態でカメラ小僧が撮影。コレを見てダビスタが「なんとゆー一体感!」とか感心していた。(とーぜん○ンピラとダビスタは口論に。これもおきまりのパターンだったよ。)ここも2回目だったのだが、なぜ以前に北海道に行ったことがあるかはまた後ほど話そう。

 そんな大回り道をして留辺蘂に辿り着いたのが、かなり遅かった。すでに兄たちは辿り着いていたね。次回は大雪山系層雲峡のあたりのハナシをしよう。ではまた~(* ^ー゚)ノバイバイ

【2005/11/29 12:54】 | 思い出(学生時代)
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馬脚をあらわしおって
cooyou
マル家へ、わかったわかった、もうつかわんよ。でも特定されたと思う。ところでほっかいど~の写真ない?

イタイです~
cooyou
秋朔海さま、

 また雪降ってきました~。明日は無事にラボにいけるのかしら?


○家
伏字でも意味は変わらん。

寒そう~。
秋朔海
氷点下18度...。寒そうです。
寒いのに、ドアが開かない..。さらに寒そうです。
しかもドアが青!寒色でまたまた寒そうです。

北海道、写真がないのが残念ですが、かえって想像して楽しいかも。

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