米国けんきゅうにっき 考えること
学位取得後、研究者として米国へ。このさきどのようなことが待ち受けているのでしょうか?
 俳優の植木等さんが亡くなったそうだ。個人的には特に興味もなかったヒトなのだが、病名でちょっと気にとめた。"肺気腫"ということで、ワタシの父親と同じ病気を患っていたらしい。でも80歳というのはまあまあの年齢か。ご冥福をお祈りいたします。

 このような訃報を見るたびに思うことがある。あとどれだけの数の人間と知り合い、別れていくのだろうかと。そしてその中でどれだけのことをキオクしていけるのだろうか。

 ワタシにはこれまでの人生で3つの印象的な邂逅と別離がある。2つは別離、そして1つは出会いだ。2つの別離はいずれも死別。一人は中学生のころから仲の良かった友人、もう一人は父親だ。友人の方は本当に運が無かったというほかはなかったのだろう。高校に入学してすぐに、ほんの些細なこと(自転車で転倒)でその命を終えた。たぶんそれはワタシにとってはじめての親しいヒトの死であったと思う。それ以前にも父方および母方の祖父母の死には直面していたと思うが、この友人の死ほどのインパクトは無かった。そう、そのときがはじめての"死"というものの実感であったわけだ。

 もう一つの"死"である父親のものは、ある予感があった。これは上記でも触れた肺気腫は呼吸困難になることがよくあり、徐々に体力を削っていく。どのような病もヒトの意気を消沈させるものだが、この病は長いスパンでこれが起こるのだ。だからいずれは訪れるであろう"死"を知覚できる。ただやはり直接の肉親である父の死というのもは、予感があったとしても、覚悟があったとしても、そのインパクトは甚大だ。ワタシはそのときはじめて肉親の"死"を認識した。

 二つの死別はワタシの心の底にある決意を促した。絶対にこの世界で生き延びるということを。それは絶対に自身で命を絶つことはないということで、その先には生命というものの存在に対しての敬意に繋がっている。それと同時に"死"を凌駕したいという欲求もあり、これはワタシ自身、尊大だと思わざるを得ない。そんな混沌の感情がこの2つの死別には伴っていった。

 さて1つの出会いはもっと別の側面をもつ。これはある先輩との出会いだ。ワタシがもっとも尊敬しているその人格は、その母性からくるのかもしれないけれども、それ以上に昔、その先輩から発せられたコトバがワタシにとって思いがけないモノであった。それは普段の人からは想像もできないような弱々しいもの。同時にヒトは完璧で在る必要がないということを知覚した。けれどもだからといって、すぐに諦めるのはよくないことだが、精一杯頑張ってどうしようもなくなったらちょっとくらい弱音を吐いてもいいんだよ、ということ。それを他人が受け止めることは出来ないけれども、ただ吐き出すだけでもココロは軽くなる。後は本人次第。そんなことを何となく思ったものである。

 これらの出来事は昔に在った出来事であり、ワタシのなかで繰り広げられた心象だ。そしてこれらの事はいつか訪れるであろう終わりの刻まで決して忘れることはない。

【2007/03/30 08:06】 | 考えること
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 昨夜は冷え込んで氷点下12℃まで下がったため、今朝、クルマを動かすとき苦労した。でも今日は良いお天気で残雪のため町がまぶしい。そんな今日は大学院生候補が集まるリクルーティングデイ。ウチのラボで実験を手伝ってるFくんやラボテクのLexyも今年の9月からグラデュエートスクールに通うつもりなので参加している。そんなわけでデパートメントはなんだかちょっと活気にあふれた雰囲気だ。ウチのラボには研究室巡りということで3人ほど訪れてきた。インドからとオレゴン、ペンステイトからだそうな。ラボマネのDoreenにプロジェクトの説明を彼らにしてくれということで、簡単に研究意義と何を具体的にやっているか説明した。今年はグラデュエートは何人くるのだろう......


 さて今日は久しぶりにボトルビールの紹介をしよう。いつも飲んでいるビールとかなのだが、こっちの方は東海岸よりも選択の幅が広いかもしれない。

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Amber AleとIndian Pale Ale

 実はこのボトルビールはワシントン州の州都であるOlympiaにあるローカルブルワリ(Fish Bowl)のものであり、昨年に行ったことがあるのだ。こんなマニアックなビールが町の生協で買えるとゆーのは、ちょっと東海岸では無かったことなので不思議だ。(まあ探せばあるのかもしれんが......)

 先日の日本滞在中に飲んだビールはこういったビールと較べてやはりちょっと薄い気がしていたのだが、改めてこっちで飲み直してみるとキリンやサッポロのビールなんかよりも遙かに味わい深いねぇ。

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【2007/03/03 06:15】 | 考えること
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liscence_plate.jpg 先ほど駐車場の雪の中をあさっていると、なくしたナンバープレートを見つけた。これでとりあえずは違反キップをきられることはなくなったわけだが、プレートの固定具の破損が著しい。これは早速、新年にでも連絡して立て替えてもらわなければ。
 さて今年もあとのこり6時間たらず(山岳標準時間で)。今日は仕事納め(?)のつもりでラボにちょっとだけ行って来た。涸らしたカラムを再充填するためだ。高濃度塩で洗浄している間、気晴らしもかねてキャンパス内をまた散策した。その間にいろいろなことを思い出して。

 まず今年の一番大きな出来事はアメリカ準横断だと思う。今年の1月終わりにデラウェアからモンタナまでクルマで移動したのだ。

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ここからここへ

 冬季だったので、6日かかってモンタナまでやってきた。またデラウェアでの出来事も突然だったため、金銭面や生活の変化、人間関係などいろいろと苦労した。たとえば日本に住んでいるヒトと電話での会話の時の考え方の齟齬や、認識、感覚など。いずれもただでさえ伝え難いものであるが、そういうことは多々あったと思う。ワタシは学位を取るときは日本の大学だったので、そのときの気違いじみた生活はしっているし、較べてアメリカのそれは明らかに緩やかだということも理解している。日本での研究は、おそらくそういった学生時代の生活の延長上に成り立っているため、博士研究員となっても同様の生活パターンを続けるが、アメリカではそういったことはない。(それ故に日本人はワークホリックだと言われるわけだが......)また日本でのそういった生活は何かしらの強迫観念を与え続けていたように感じてならない。昨日、東京の国立大で博士研究員として従事している後輩とSkypeを介して電話していたが、それは彼の現在の状況や言動からも感じられた。

 だとすればワタシは日本に戻ってやっていけるのだろうか?そんな不安が脳裏をかすめるのだ。ただワタシもアメリカに正味4年半すんでいるので、その経験もまた価値のあるモノなのだろう。(少なくとも自分にはそう言い聞かせている。)たとえば、日本の人たちにしてみれば在米日本人は結構、のほほ~んと暮らしているかのように思われるだろう。しかし、そういった旨みだけが海外生活でもないのである。通常、日本人が日本に住んでいる限りは、人種差別というものには無縁だと思う。しかし、アメリカではこれが厳然たる現実として存在している。そしてワタシも人種差別を受けているという経験が多々、あったわけだ。もちろん、それが10割というわけではない。ただ確実にどこかに内在しており、長く異邦人で在り続ける限りはその経験を伴うということである。これは日本から出たことのない邦人には説明しても、わからないであろう。いや知識としては知っていてもそれを体感するのとはやはり違うのだ。

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 たとえそんな不快なことをあえて受けたとしても、海外での経験は確実に在外邦人のなかで昇華されると思う。これはそして本当に日本が世界の矢面に立つときの為の通過儀礼だと思うのだ。

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 今年1年を振り返って、相変わらずだらしがない生活だったが、それなりに自己も進歩していると思う。それが幻想なのかもしれないけれどそう信じたい。

 それではみなさん、良い年の瀬をお過ごしください。

cooyou

【2006/01/01 10:09】 | 考えること
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時のはじまり
cooyou
Heidiさん、このエントリに対する、ご感想、ありがとうございます。あの日はちょっと物思いに耽っておりました。そんな中の独り言みたいなものだったのですが、以下のコメントをいただきとってもうれしいです。

 私のアタマは未だに日本語を基本言語として考えています。(たぶん英語にはならないでしょう。)それは遠い祖国に対する憧憬であったり、いつか帰るという決意なのかもしれません。その影響もあるのでしょね、今、外国に居る自分はおそらく日本に居たときの自分とくらべて何倍も強く日本の将来を想っていると実感しております。でもそれは行き過ぎてはいけないと思うし、自虐的でもやはりダメだと思う。その絶妙なバランスの上に立って物事を見るためにはどうすれば良いのだろうか?と常に自問しています。

 Heidiさんのおっしゃられる様なバランス感覚はとても大切なこと。だからそれをしっかりとココロに刻み込んでいこうと思います。

国際人って何だろう
Heidi
「たとえそんな不快なことをあえて受けたとしても、海外での経験は確実に在外邦人のなかで昇華されると思う。これはそして本当に日本が世界の矢面に立つときの為の通過儀礼だと思うのだ」
この言葉、とても勇気がもてました。
・マイノリティ
・日本ってどんな島?、そもそも日本ってどこ?
その他様々なこと。都会にいれば人種差別も尚更、日常茶飯事だと思います。 

 "和"は プラス+、"差"はマイナス-。

生活習慣やモノの考え方の違い、人との"差"を越えて、人の気持ちを理解しあえた時、和を生み出し、つながることができると思います。
祖国のアイデンティティを持ち、その人の持つ文化に畏敬の念を払う、私の目指す国際人的感覚はここにあります。
私も日本に帰ってからの”バランス感覚”を大切にしたいと思いました。

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 気温がちょっと下がってきた為か、溶け出した雪が再び凍る。そのおかげで路面はツルツル。さっきクルマに乗り込む時に見事にコケてしまった。腰がイタイ(TдT)

 おとといくらいのYahoo! Japanのトップで「排出枠取引でCO2削減へ 米7州、政府に反旗」というニュースを見かけたので、気になっていた。米国東部7州ということだが、どこの州が含まれているのかということにだ。そこでソースの共同通信にあたるも見つからず、最後はググって個人のブログサイトから、NY Timesの社説に辿り着いた。(でも日付は今年の夏なので、たぶん共同通信のソースとはちょっと違うかもね。)

States to the Rescue

Published: August 25, 2005
It's been obvious for some time that state governments are taking the problems of global warming and oil dependency much more seriously than the Bush administration is, and have been far more creative in devising solutions. Hardly a month goes by without another example of the gap between palpable alarm at the state level and Washington's stubborn passivity. This week provided two more.
Exhibit A was the disclosure in The Times that New York and eight other Northeastern states have reached a tentative agreement on a regional plan to reduce power plant emissions of carbon dioxide, the main global-warming gas. The plan would establish a cap on these emissions as well as a market-based system for trading pollution permits. That system would be aimed at helping utilities meet mandatory targets as cheaply and efficiently as possible.
The plan is the first of its kind in the nation dealing with greenhouse gas emissions, though a similar approach has already been successfully applied to acid rain pollution. The plan is based on a regulatory regime that has explicitly been rejected by the Bush administration in favor of a softer voluntary approach, which has yielded little progress so far. The architects of the new plan, including Gov. George Pataki of New York, hope that it will encourage other states to follow suit, and, ideally, persuade a hitherto reluctant Congress to adopt the kind of unified national strategy embraced in Europe but not here.


 上記には明記されていないが、二酸化炭素削減枠の話し合いにはConnecticut, Delaware, Maine, Massachusetts, New Hampshire, New Jersey, New York, Rhode Island and Vermontなどが含まれているらしい。

 さてなぜ突然、こういった話題を取り上げたのかといえば、最近、先輩に頼まれて二酸化炭素分離・回収技術関連の国際状況を調べたことに起因する。もともと地球規模の気象変動や有害物質の無規制排出に関する話題には興味があったのだが、なかなかこのブログでも取り上げる機会がなかったように思う。今回は良い意味で考える機会を与えていただいたと感じている訳だ。

 二酸化炭素といえばなにを連想されるだろうか?

ヒトの吐息?
ドライアイス?
それとも排気ガスの主成分?

 基本的に二酸化炭素は無害と考えている方も居られるのではないかと思うのだが、実際は有毒ガスである。過剰量の摂取は致命になりうるからだ。もちろん一酸化炭素に較べれば毒性は遙かに低いし、その致死量は膨大量になるのだから、毒物としてそんなに気にする必要はない。

 ただこれを環境面に即して考えるとまた別の姿が見えてくる。京都議定書でも焦点になっていた様に、二酸化炭素は地球温暖化に大きく寄与していると考えられている為だ。したがってその排出量削減は不可避の懸案であったが、米国(ブッシュ政権)が至極、利己的な理由で批准を拒否した。これに対して、今回の東部7州が反旗を翻したというのが、Yahoo!の記事の主旨だ。

 さてでは実際にもっとも二酸化炭素を排出するソースは何なのだろうか?多くの人たちは自動車の排気ガスと思われるかもしれないが、もっとも深刻なのは火力発電所の排出ガスである。そして発電所が生産する電力は現代の生活において不可欠なのである。

 そいうった二酸化炭素の排出源に対して、近年では多くの技術的対策や経済的評価がなされてきている。基本的にもっとも主流なのはこれら二酸化炭素の回収と貯蔵である。しかしながらワタシが疑問に思うのは、貯蔵後の行き先だ。これらは見かけ上の排出量は削減することができるのだが、正味の二酸化炭素量は増加し続けることには変わりないのである。

 たとえば油田から原油を掘り出すときに、原油を地下から押し出すために二酸化炭素を油田に注入するという手法(Enhanced Oil Recovery)がある。これは二酸化炭素排出削減に寄与はしているのだが、もし大きな地殻変動があった場合に可能性として瞬間的に莫大量の二酸化炭素が大気に放出される危険性を持ち合わせている。

 ワタシが言いたいのは、根元的な二酸化炭素削減(植物や微生物などのバイオロジカルエコシステムによる代謝・分解)をもっと積極的に考えなければならないのではないであろうかということだ。

 ところで大気中に含まれる温暖化ガスの二酸化炭素の割合は6割であるが、それ以外にもっと潜在的にキケンなガスがある。そのお話はまたに機会にでも。

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【2005/12/24 15:31】 | 考えること
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2005_1122.jpg なんだか久しぶりにブログのエントリをアップした気がするのだが気のせい?昨日がやたら遅かったのと、毎日、英文を読んでいるせいか、時間の経過がやたら早く感じるのだ。今日もやたらと天気は良い。この大型休日はどーも晴天が続くとか。気温があがってきたので、体調も徐々に復調しているのが実感できる。だからといって昨日の帰宅時間が午前2時というのは、ワタシのカラダから悲鳴がきこえてくるようだ。(実際、ふつうに歩いているのに地面が揺れているよーな......)ああ、あと昨夜の睡眠時間が短かったというか眠りが浅かった理由は悪夢(nightmare)を見ちゃったよーだ。内容は忘れたが、朝起きると妙な絶望感とゆーか、喪失感に襲われた。まっ、疲れているからだろーね。

 そんなわけで今日の語り部を始める前に、ちょっと気になるニュース~。

集団登校の列に車、姉妹はねられ小5女児重体…島根

 22日午前7時35分ごろ、島根県出雲市枝大津町の市道交差点で、軽乗用車が乗用車と接触し、車を止めようと左側の歩道に入ったところ、約50メートル暴走し、歩道にいた同市大津朝倉の音楽教室経営車田洋一(40)さんの長女で市立大津小5年愛さん(10)と、二女の同小2年彩さん(8)をはねた。
 愛さんは頭を強く打ち意識不明の重体、彩さんは足に軽いけが。出雲署は、軽乗用車を運転していた同市大津町の会社員切川智詠容疑者(33)を、業務上過失致傷の現行犯で逮捕した。調べだと、姉妹は他の児童4人と集団登校中。(2005年11月22日12時20分 読売新聞)

 このニュース、今朝の時点では知っていたのだが、某掲示板ではこの切川智詠容疑者の証言、「ブレーキが利かなかった」というのが叩かれているよーだ。警察などもこのクルマのブレーキを点検したそーだが、異常はなかったとのこと。とゆーわけで、容疑者がブレーキとアクセルを踏み間違えたのだろーうということで、叩かれている。あまり多くは語らないが、やはり大質量のモノを操作しているワケであるから、ちゃんと運転者は自覚すべきだろうね、老若男女問わず。

 ワタシはこんなニュースを見るといつも悲しくなる。勿論、ひかれた女の子のこともそうであるが、なんでもキカイのせいにしてしまうというココロの弱さにも。およそ学者らしくないのだけれども、道具にはなにかしらのココロみたいなものがあると思う。これはたぶん日本人特有の考え方で「つくも神信仰」というのも、その概念の代表的なものであろう。だから古来より日本人はモノを大切にしてきたのだと思う。そんななか、現代の日本人はどーであろうか?たとえば上記の女性は自分の過失を道具のせいにしようという言質のことばを吐いている。これはモノに対する信頼だけでなく、その人間の品位さえもなんだか陳腐なものに見えてしまう。そんな言葉を吐いてしまう、あるいは吐くことができる彼女に対して、ワタシは悲しくなったのだった。

 閑話休題。ほっかいどー旅行の続きをつづろうか。実際は遠い昔のできごとなのでキオクが曖昧なのだが、一つだけ伝えたい場所があるので話題にした。その場所は次回にお話することにして、今日は富良野から日高に行く過程である。

 富良野は非常に有名である。なにが?といえばホラ、紫のラベンダーのお花畑。富良野はまさに紫の世界である。さてラベンダーといえば思い出すのがすでに左のリンクにあるよーに、筒井康隆原作の「時をかける少女」である。この映画はたしか当時、角川の秘蔵っ子の一人、原田知世のデビュー映画だ。当時はなんとなく興味があって、原作の小説を読んでから(たぶんいやがっていた)父とともに見に行ったキオクがある。そんなコトを思い出させてくれた富良野のラベンダー畑であった。そこではわれわれはとうぜんのようにラベンダーソフトクリームを食べたのだ。そう、あの紫色のヤツ。そこでもチンピラとNが訳の分からない口論を展開させていた。
N 「オマエ、富良野っていったらラベンダーソフトに決まっているじゃん?」
チンピラ 「誰がそんなこと決めたんだよっ?」
N 「オレが決めたに決まってるじゃん。」
 ......まあありがちな小学生並の口論である。そんなアホな会話を後目にワタシはその紫色のヤツを手に入れて、ラベンダーを眺めながら子供の頃に見た「時をかける少女」に想いを馳せるのであった。

【2005/11/23 13:40】 | 考えること
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