すいません、先ほどまで眠っておりました、ってもうお昼過ぎじゃん!今日は日曜なので、久しぶりにのんびり行こうと思った矢先のこの起床時間。もう一寝入りしようかしら......
さてこの間のエントリで米国免許について言及した際に共同研究でカリフォルニア、Palo Altoに訪れたことをチラッとふれました。そのあたりの続きを本日は綴りたいと思います。
結局、カリフォルニアに旅立つ前には米国免許を取得することができませんでした。何故にこの時点で免許取得にこだわっていたかというと、測定装置のあるシンクロトロンと試料を調製する場所(Stanford大学のある研究室)の間をなんども往復しなければならないということがわかっており、その距離が3マイルあったので、これでは移動にはクルマが必須ということでした。この問題は国際免許書(International Parmit)で対応する事にしたのですが、次に問題が発生したのがレンタカーを借りること。そのときはまだ米国発行のクレジットカードを所持していなかったため、レンタカーを借りることができないのではということを危惧しておりましたが、これも日本発行のカードで対処しました。そして最後に飛行機のチケットですが、その当時はなにもわからなかったので、ラボの友人の助けでSan Francisco行きのチケットを購入したのです。しかしながらそのチケット、格安だったためでしょうか、San Franciscoに到着が深夜の11時半!そして米国内での公道の運転をまだ経験したことがないにもかかわらず、San Franciscoから宿泊先のPalo Altoまでクルマで移動しなければならないという状態になってしまいました。つまり深夜のSan Franciscoをまだ右側通行の運転をしたことのない私が、この未知の土地をクルマで移動しなければならないということです。また当時は911のテロがあった後であったため、空港などのセキュリティが異常に厳しかったのでした。空港内ではライフルを持った軍人がそこら中にいたというのも、かなり緊張した状況を醸し出しておりましたね。流石に空港のレンタルカウンターを出て直後は逆走しそうになりましたがこれはすぐに慣れました。でも道が全然わからかったため、深夜のSan Franciscoをしばらく迷ってしまいました。結論として、今現在私はココにいるのですからこの状況はなんとか打開できたわけです(^O^)。治安なんかの善し悪しにおびえつつ、事故などを起こさないよう気をつけながら、ベイエリアを彷徨っているうちに、なんだか南のPalo Altoへの道を見つけだし、その宿にたどり着いたのが午前2時半!!San Francisco~Palo Altoを3時間も彷徨っていたことになります。(通常は3,40分くらい)
さてその宿泊先ですが、私のような短期滞在研究者を受け入れてくれるホストファミリーがあるらしく、その家に私もお世話になることになりました。到着が深夜になることは告げてありましたのですが、あのような時間になるとは想定していなかったため、その家に入れないのではと危惧しておりました。そんな深夜にしかも外国人が忍び込むのですから、それこそ銃で撃たれるのではないかしらとビクビクしておりましたが、それは杞憂に終わりました。当時私は本当に英語をしゃべれなかったため、もし何かあったときもうまく状況を説明できないのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、その家の玄関に行くとメールでやりとりしたさいに指定された場所にその家の鍵と"Welcome, 私の名前!!"と書いたメモが。......名前のスペリング、間違ってるじゃん_| ̄|○ でもとりあえずホッとしたのでした。
次回はその家で何が起こったのか?!です。
さてこの間のエントリで米国免許について言及した際に共同研究でカリフォルニア、Palo Altoに訪れたことをチラッとふれました。そのあたりの続きを本日は綴りたいと思います。
結局、カリフォルニアに旅立つ前には米国免許を取得することができませんでした。何故にこの時点で免許取得にこだわっていたかというと、測定装置のあるシンクロトロンと試料を調製する場所(Stanford大学のある研究室)の間をなんども往復しなければならないということがわかっており、その距離が3マイルあったので、これでは移動にはクルマが必須ということでした。この問題は国際免許書(International Parmit)で対応する事にしたのですが、次に問題が発生したのがレンタカーを借りること。そのときはまだ米国発行のクレジットカードを所持していなかったため、レンタカーを借りることができないのではということを危惧しておりましたが、これも日本発行のカードで対処しました。そして最後に飛行機のチケットですが、その当時はなにもわからなかったので、ラボの友人の助けでSan Francisco行きのチケットを購入したのです。しかしながらそのチケット、格安だったためでしょうか、San Franciscoに到着が深夜の11時半!そして米国内での公道の運転をまだ経験したことがないにもかかわらず、San Franciscoから宿泊先のPalo Altoまでクルマで移動しなければならないという状態になってしまいました。つまり深夜のSan Franciscoをまだ右側通行の運転をしたことのない私が、この未知の土地をクルマで移動しなければならないということです。また当時は911のテロがあった後であったため、空港などのセキュリティが異常に厳しかったのでした。空港内ではライフルを持った軍人がそこら中にいたというのも、かなり緊張した状況を醸し出しておりましたね。流石に空港のレンタルカウンターを出て直後は逆走しそうになりましたがこれはすぐに慣れました。でも道が全然わからかったため、深夜のSan Franciscoをしばらく迷ってしまいました。結論として、今現在私はココにいるのですからこの状況はなんとか打開できたわけです(^O^)。治安なんかの善し悪しにおびえつつ、事故などを起こさないよう気をつけながら、ベイエリアを彷徨っているうちに、なんだか南のPalo Altoへの道を見つけだし、その宿にたどり着いたのが午前2時半!!San Francisco~Palo Altoを3時間も彷徨っていたことになります。(通常は3,40分くらい)
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| 金門橋、測定の最終日に時間があったので撮影にいきました~ | San Franciscoの街を望む、これも金門橋のパーキングから撮影、昼は活気があってとてもよい雰囲気の街でした |
さてその宿泊先ですが、私のような短期滞在研究者を受け入れてくれるホストファミリーがあるらしく、その家に私もお世話になることになりました。到着が深夜になることは告げてありましたのですが、あのような時間になるとは想定していなかったため、その家に入れないのではと危惧しておりました。そんな深夜にしかも外国人が忍び込むのですから、それこそ銃で撃たれるのではないかしらとビクビクしておりましたが、それは杞憂に終わりました。当時私は本当に英語をしゃべれなかったため、もし何かあったときもうまく状況を説明できないのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、その家の玄関に行くとメールでやりとりしたさいに指定された場所にその家の鍵と"Welcome, 私の名前!!"と書いたメモが。......名前のスペリング、間違ってるじゃん_| ̄|○ でもとりあえずホッとしたのでした。
次回はその家で何が起こったのか?!です。
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