米国けんきゅうにっき 教会のコミュニティ
学位取得後、研究者として米国へ。このさきどのようなことが待ち受けているのでしょうか?
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 私は日本で英会話学校なるものに通ったことがありません。日本にいたころは周りの数多くの友人が英会話学校に通っており、自分は大丈夫なのだろうか?と不安になっていたものでした。

 さて渡米後にアメリカではちゃんと会話ができたかといえば、まったくダメでしたね。学校はおろかTOIEC・TOFELすら受験したことがなく、英語に接する機会といえば論文くらいだったものです。

 渡米して一月はラボの友人の家にお世話になっていました。その友人は熱心なクリスチャンであり、またその家も教会から借りていたものだったたため、まあ教会に隣接していました。従って、自然と日曜に教会で開かれるサービスに参加したり、教会のコミュニティの人たちと知り合いになるようになりました。ちなみに私はクリスチャンではありませんし、昔、聖書を読んだとき旧約聖書の「天地創造」(一番最初の章)で挫折したので、まったくキリストについて知らないと言ってよかったと思います。しかしとにかく英語を上達させなければということで、金曜に別のコミュニティで開かれていたバイブルスタディに参加したり、日曜のモーニングサービスに参加したりと、それなりに努力したと自分では思うのですが。

 英語とは別に、教会関連の事業やコミュニティの参加はいろいろな経験もできました。その教会はその地域で結構な規模だったので、たまに開かれる音楽会は聞き応えのあるもんでしたし、サービス後のランチミニストリーではいろいろな人たちと知り合えることができました。デラウェアはあんまりメジャーな州ではないので、日本人を見つけるのもなかなか難しかったのですが、そのコミュニティを介して数人ほどに知り合える機会がありました。ほかにも友人の結婚式やコミュニティ内の友人の引っ越しの手伝いなど、いわゆる互助制度が日本にくらべて大きく発達しているという側面を垣間見ることができましたね。

 あとちょっとカルチャーショックだったのが、たまに日曜のモーニングサービスで行われる「サパー」。これはキリストの血肉になぞらえてグレープジュースとパンが配られ、それをお祈りの後にみんなで一斉に口にするというものです。ご存じの方も居られると思いますが、これはキリストとの一体化を暗示しているみたいです。これにはさすがに宗教色を感じざるを得ませんでした。私は摂りませんでしたけどね。

 もちろん教会のコミュニティは私に改宗を強要はしませんでしたし、すくなくとも私はそう感じませんでした。友人のインド人(ヒンズー教徒)はそれに関して文句を言っていましたが、まあ彼もインド人のなかでは独特な方でしたので。

 最後に、教会の催し物に参加して特に感じたのが、彼らは子供たちをとても大切にしていること、そしてとても子供の数が多いことです。米国の出生率は2を越えており先進国では突出しているというのもうなずけます。これは子育ての受け皿がこの教会のような制度に反映されるようにしっかりと構築されているためではないかとふと思いました。また高齢者とのコミュニケーションの場としても機能しており、(日本ではあんまり見られないことですが)若い人たちと老人が楽しく談笑しているという光景もしばしば見ることができましたね。

【2005/06/19 00:49】 | 思い出(東海岸編)
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