米国けんきゅうにっき 三陸町での出来事(その1)
学位取得後、研究者として米国へ。このさきどのようなことが待ち受けているのでしょうか?
sanriku1993_03.jpg むか~し、Rover MINI 1.3iに乗っていた。左のクルマである。このクルマで東京から福岡の香椎(大学同期の実家)、大分(修士同期の就職先)、熊本(先輩の働いている場所)、宮崎(フェリーで、最初のポスドク先の大分に行くため)、四国の坂出(大学の同期の実家)や道後(大学院先輩の実家)、北海道の稚内(傷心旅行)、北陸・富山(両親の実家)、そして岩手・三陸(幼なじみの大学の在る場所)など、日本中をともに走ったものだ。渡米する際に手放したが、10年以上、乗り続けたクルマである。
 英国車ということで、さんざんトラブルに見舞われたものだ。オイル漏れは当たり前で、冷却水関連や電装系などはしょっちゅうだったので、たとえエンジンルームから白煙が出てきてもあまり驚かなくなったし、雨の中で急に止まっても冷静に路肩の方によせたものである。(軽いので一人で動かせるのも利点だ。)それでもいろいろとトラブル対策の改装を施してはあったのだが。思い起こされる最大のトラブルはやはり冬の北陸に向かったときであろう。たしか博士号をとった直後である。今は地震で大変なことになっているらしい、柏崎市のすぐ外。国道8号線にのったとたんに雪にあい、海風の吹きさらす日本海の目の前で止まってしまったことだ。時間はすでに10時過ぎ。雪がエンジンルーム内に入り込んできて、ディストリビュータ(点火プラグにタイミング良く電圧をかける装置)を濡らしてしまい、エンジンが動かなくなったのだ。原因は分かっているので、この部品が乾くまで待つしかなかったのだが、周りは真っ暗で非常に心細かったのを覚えている。そのあと糸魚川までなんとかクルマを走らせられたのだが、そこでガス欠に気づくも、すでに深夜2時。GSは軒並み閉まっていた。ここで観念してJAFを呼んだのだが、たしか糸魚川の駅前で3時間ほど待たされたのであった。

 さて前置きが長くなってしまったが、このMiniを駆けて当時、幼なじみが下宿を始めた三陸町まで行くことにした。(実は彼が滞在していた3年間の間に3回は立ち寄った記憶がある。最後はたしか稚内の帰りだ。)東北は当時のワタシにはちょっとしたあこがれの土地だ。柳田國男の「遠野物語」の舞台となった遠野や寂れた感じの釜石や大津波被害の歴史をもつ大船渡などは、ちょっと陰があって個人的には非常に興味をそそられていたのだ。(ただし行くとわかるが海産物がとってもおいしい大船渡や、ちょっとノスタルジックな遠野は陰があるというイメージは似つかわしくない。まあ陰とゆーのはワタシの勝手なイメージだが......)

 ワタシのMiniは1.3Lの排気量、4速マニュアルだったので、高速道路でも現代の自動車の様に120キロ超の巡航には(乗っているほうが)耐えられない。ゆえにゆっくりゆっくりと東京から大船渡まで向かったものである。現在の道路事情はよくわからないがたしか当時は東北道を一関で降りて気仙沼まで出てから、北上した記憶がある。(友人には花巻まで行けと言われた記憶もあるのだが、あんまり覚えていない。)

 三陸町はちょっと小ぶりの半島にあり、太平洋の荒波を一身に受けている。大船渡から続くリアス式海岸は碁石海岸という名前で有名であり、上記にも書いたが海の幸がおいしい場所だ。たしか帰り際に鮮魚市場でワタシは生きているホタテを、ついてきたワタシの大学の同期はホヤを買って帰っていった。友人の方はホヤの調理の仕方がわからず、とりあえずゆでてみたのだそうだが、ものすごい悪臭がしてきたのでトイレに流したそうだ。当時、ワタシもホヤとゆー生物すら知らなかったので、ナニに使うのやらと思ったモノだ。

 さて長くなりそうなので、次のエントリに続く。

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【2007/07/19 08:15】 | 思い出(学生時代)
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